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神はわれらと共におられる -前編-

シャリーダ・スプリンクル/出版局副編集長

詩篇46篇―、この短いみことばの中で、神は嵐のような苦難の中において、私たちと共にいてくださると明言されています。また、ここでは預言的な事柄を含みつつも、神の守りと完全な勝利が描かれています。今月はこの詩篇から、来るべき嵐に備えて、神が願われる私たちの心の準備について学んでまいりましょう。

終わりの時代に起こる嵐

「嵐が近付いている」――、どの政治評論家も口を揃えてそうコメントしています。たまにしかニュースを見ない人でも、現状を見るなら、いかにそれが正しいかを認めざるを得ないでしょう。どんなに楽観視しようとしても、嵐(終わりの時代の艱難)が近いことは疑う余地がありません。

「見よ。わざわいが国から国へと移り行き、大暴風が地の果てから起こる。その日、主に殺される者が地の果てから地の果てまでに及び……」(エレミヤ25・32-33a)

イスラム諸国に囲まれたここイスラエルに住んでいると、「嵐」の兆しはいっそう強烈な現実味を帯びて迫ってきます。この嵐を描写しようとしても、それは想像も及ばないほど大きく、実際には全体像を把握することすらできません。私はこの嵐に直面する心の準備ができているだろうかと、よく考えます。

このところ、イスラエル内部や周辺諸国に嵐が吹き始め、イスラエルとその隣接国との戦いを描いている詩篇83篇がよく話題に上ります。エルサレムを拠点に活動しているクリスチャン作家でありジャーナリストでもあるデービッド・ドーロン氏は、詩篇に書かれている国々や地域に、未だかつてこのような戦闘が起こったことはなかったと述べています。ここに書かれている国々の多くは1967年と1973年にイスラエルに共に攻め込んできました。エジプトもこの連合軍に入っていました。しかし、エジプトは詩篇83章にはリストアップされていません。それによって、これはまだ起こっていない預言、これから実現する預言の一つだと理解することができます。イスラエルの状況が緊迫してきた今、人々が改めて詩篇83篇に焦点を合わせることは、不思議なことではありません。

続けて詩篇46篇を見てみましょう。46篇を「終わりの時の詩篇」と私は呼んでいます。なぜならこの言葉は、使徒ヨハネによって黙示録でも語られているからです。さらに、主イエスご自身が、終りの日について同様のことを述べておられます。私は詩篇46篇が好きです。それは、単に預言的であるからだけではなく、大勝利をテーマにしているからです。この短い詩篇の中で4度にわたり、神はこの最もひどい苦難の時に、私たちと共にいてくださると言われます。神は嵐に先立ち、心の準備をすることを願っておられます。たとえ嵐のただ中にあっても、神が共にいてくださることを思い出すことによって、備えができると私は信じています。私たちは単に素晴らしい真理を思い出させてくれる言葉を必要としているのではなく、心の内に深く刻み込まれた神のみことばの真理が必要なのです。それを握り続けることで、不安定で恐ろしさに満ちた時を耐え抜くことができるでしょう。

ここで詩篇46篇を読んでみましょう。

  1. 神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。
  2. それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
  3. たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。
  4. 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。
  5. 神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。
  6. 国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。
  7. 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。
  8. 来て、主のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。
  9. 主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。
  10. 「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」
  11. 万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。

嵐 ― 苦難の時

詩篇の作者が描いた苦難の嵐は、ありきたりのものではありません。それは並外れた恐るべき苦難です。彼は最悪の時が訪れると、このようなことが起こるであろうと記しています。主イエスのみことばが心に浮かんできます。

「そして、日と月と星には、前兆が現われ、地上では、諸国の民が、海と波が荒れどよめくために不安に陥って悩み……」(ルカ21・25)。また、マタイの福音書24章7節でイエスは地震のことを語っており、ヨハネの黙示録6章12節では、ヨハネも同じく地震について語っています。詩篇の作者が「地が溶ける」と言うとき、私たちは火山の噴火か、あるいは核戦争の勃発などを想像します。しかし、それは単にそのような種類の苦難を描写しているのではありません。6節では、地上の政治的な領域を揺るがす出来事を描写しています。この出来事によって引き起こされる経済崩壊、指導者の交代、そして戦争をも予測することができます。作者は諸国の「地の荒廃」について語っていますが(8節)、これは世界的視野に立った記述です。

預言者ハガイは、国々が揺り動かされる時のことをこのように描写しています。
「まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。わたしは、すべての国々を揺り動かす。」(ハガイ2・6-7a)

イスラエルのための良き知らせ(福音)は、イザヤ書54章9節から10節に見いだされます。
『このことは、わたしにとっては、ノアの日のようだ。わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。』とあなたをあわれむ主は仰せられる。」

それでもなお、このような時に恐れおののかない者がいるでしょうか。この恐怖にどのように立ち向かい、対処していけばいいのでしょうか。これからやって来る嵐は、詩篇46篇に描かれているような大規模なものとなるのか、ごく普通の嵐なのか……私には分かりません。しかしその嵐は、力強さと凶暴さを増し加えながら舞台に登場することは間違いありません。その規模がどのようなものであれ、私たちがこれまで一度も遭遇したことがないほどの規模になることでしょう。

イスラエルの前首相ベンジャミン・ネタニヤフ氏は、イランとの来るべき戦いの日について、ナチ政権が脅威を増大していた1938年の統治を現代に置き換えたようなものだ、そしてその相違点は、今日の敵国が核の戦闘能力をすぐにもてることだ、と語りました。私たちは恐れずにその状況に立ち向かえるでしょうか。

第一の解決策は、神は嵐をも支配される主であることを理解することです。「主の道はつむじ風とあらしの中にある。」(ナホム1・3)。神はご自身が創造されたものを支配されます。たとえそのなりゆきが、私たちにとって全く秩序を欠いているように見えたとしても、それは神のご支配の範囲内で起きていることなのです。

神は嵐をご自身の目的のために用いられます。時には罰や裁きのために。
「万軍の主は、雷と地震と大きな音をもって、つむじ風と暴風と焼き尽くす火の炎をもって、あなたを訪れる。」(イザヤ29・6)

これは詩篇46篇で嵐について語られていることと同じです。しかし神はご自身が望まれるなら、またいつでも嵐を静めることがおできになります。
「この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。主があらしを静めると、波はないだ。」 (詩篇107・28-29)

思い出してください。これは神の最初の嵐ではありません。
「主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」(詩篇29・10-11)

そこにある助け

恐怖に対する別の解決策は、神が共にいてくださるという確信をもつことです。神はまさに苦しみの真っただ中で、共にいて助けてくださいます。

ヘブライ語における「PRESENT= (Strong's #4672)」は、遭遇する、偶然の出会い、発見される、見つけ出される、確認される、存在を立証する、十分であると分かる、などを意味しています。これらすべてが、苦難の時、神が共にいてくださることを表しています。神は十分に、いや十二分にご自身を立証されます。私たちはこの嵐の中で神が共にいてくださることを、以前とは比べ物にならないほど理解するようになり、最も深い暗闇の中で神を見つけ出すでしょう。なぜなら、「あなたにとっては、やみも暗くなく夜は昼のように明るいのです。暗やみも光も同じことです。」(詩篇139・12)と書かれているからです。

以前は神がそのように共にいてくださることを、あまり気に留めなかったかもしれません。私たちはかつて、それほどの暗闇を経験したことがなかったからです。しかし神は、ご自身の臨在を私たちに「立証」してくださいます。終わりの時代に起こることとして、聖書は包囲され敵の下にある都としてエルサレムを描写しています。ゼカリヤはその出来事を予告しています。「その日、わたしは、エルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。」(ゼカリヤ12・9)。それでもなお、「神はエルサレムを助けられる」という、同じ約束であるイザヤ書のみことばがこだまします。

「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。……あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、『恐れるな。わたしがあなたを助ける。』と言っているのだから。恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。―主の御告げ。― あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。」 (イザヤ41・10、12b-14)

次号後編では、嵐のような苦難を起こされる神の3つの目的、そして、苦難のただ中に置かれた私たちクリスチャンがとるべき神への応答について学んでまいりましょう。

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