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プロジェクトレポート

里親プログラム -神さまと私たちの共同作業-

TEXT:大坪幸子(B.F.P.Japan継続支援担当)

日本人里親の木幡さんと里子のマリーナさん、オスカー君とダニエル君

移民の国、イスラエル

今日も新移民が到着するイスラエル。イスラエルは建国前から今に至るまで移民の国です。

「イスラエルの山々よ・・・わたしはおまえたちの上に人をふやし、イスラエルの全家に人をふやす。」(エゼキエル36:10)と神さまは言われました。1880年代初め、この地に住んでいたユダヤ人は2万4千人ほどでした。そこに、開拓のために1882年から1914年(第一次世界大戦)までに6〜7万人が移住し、1915年から1948年の独立宣言までに48万人が、独立宣言の翌日から2010年までの62年あまりに307万人強が帰還しました。この間に4度の中東戦争があり、数え切れないテロと紛争がありました。そのすべてを生き抜きながら経済発展を遂げ、優れた農業技術や数々のハイテク企業を生み出し、そして今日も新たな移民がこの地に降り立つ・・・。イスラエルは、まさに奇跡の国です。でもこの何百万人という数字を作っているのは、一日一日を生きようと必死な一人ひとり。生身のユダヤ人です。先の「62年余りで307万人強」という数字は、正確には307万5千229人。そして神さまは、この最後の一桁「9人」の最後の一人まで、その生い立ち、そして人生をご存知です。この全員が神さまにとって大切な子どもたち。どの人について尋ねても、神さまは目を輝かせて延々と語ってくださることでしょう。

『里親プログラムは』、まさにそんな神さまの眼差しを感じるプログラム。里親プログラムから送られて来る里子のプロフィールには彼らの姿がつぶさに描かれています。彼らを囲んでいた社会の様子、その影響、どんな勉強をし、どんな仕事をし、何を思い、何を夢に思い描ているのか?そして、それぞれが紆余曲折(うよきょくせつ)を経てイスラエルへ帰る決心をする。「わたしは彼らを地の四隅から集める」という神さまの預言が成就する瞬間が一人ひとりにあるのです。そう、神さまはこの一人ひとりをずっと見守り、とき至って集め、イスラエルの地に連れ帰られたのです。

新移民を支える里親プログラム

しかし、新移民には厳しい現実が待っています。彼らは半年ほど政府の支援を受けることができるのですが、半年で生活を軌道に乗せられる人はそういません。移民の多くが、根を下ろしきる前に支援が終わり、不慣れな土地で誰にも頼れず、自立しようともがきながら貧困の沼に沈んでいく恐怖に直面します。そんな彼らを貧困の淵から救い出したいという神さまのお心から、BFP(ブリッジス・フォー・ピース)の里親プログラムは誕生しました。彼らの日毎の糧などを1年間サポートしながら、これまでに3300世帯以上を支援してきました。移民の総数から見れば、里親プログラムが支援できるのはごくわずかです。しかし、支援を受けた里子たちが周辺の人々に与える影響は絶大です。クリスチャンからの愛が、本人から周囲にも伝染していきます。

里親プログラムで支援を受けているエチオピアからの移民

「わたしは彼らを彼らの地に植える(アモス9:15)」

彼らがイスラエルに根付くために、神さまが「この大切な子たちを頼むよ・・・」と私たちに託してくださっていることを感じます。主が里親プログラムを作られた最大の理由、それは約束の地でユダヤ人がクリスチャンの愛に出会うことなのだと思います。

里子の中には、出身国で「ユダヤ人」という理由だけで差別や嫌がらせ、ひどい場合には暴力まで受けた人がいます。また、歴史的には、キリスト教国からずっと迫害を受けてきました。その彼らが1年間クリスチャンの里親を持ち、クリスチャンから個人的に支援を受けることなど、彼ら自身も想像しなかったことです。

彼らは恩を決して忘れない民族です。イスラエルの地に根を下ろして巣立っていくとき、それを可能にしてくださったクリスチャンの愛も忘れません。食料などの物的支援以上に、その〝心〟を受け取るのです。それは、見ず知らずのユダヤ人を無条件に支え続けてくれた里親の愛、存在そのもの。フードバンクに食料を取りに来るたびに、食料が嬉しいのはもちろんですが、それ以上に、彼らを思ってくれる人がいるという事実が何よりも心を温めてくれた、と彼らは言います。ともすれば落ち込みそうになる心を奮い立たせてくれる何よりの原動力だったと。

私たちの思いをはるかに超えて

クリスチャンの愛を体験したユダヤ人たちに、神さまは私たちの思いをはるかに超えて働いておられます。ここに素晴らしい証があるのでご紹介します。

北海道札幌市に住む木幡(こはた)さんは、1997年に里親になってくださいました。貧困に苦しむユダヤ人がいることを知り、彼らを助けるために何かをしたいと祈り、支援を始めてくださったのです。以来これだけは続けたいと、箴言19章17節「寄るべのない者に施しをするのは、主に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる」のみことばを胸に、今日に至るまで里親を続けてくださっています。1999年にツアーでイスラエルを訪れた木幡さんは、その年に支援していた里子の若夫婦に会うことができました。夫イルダーさんと妻マリーナさん、そして1歳の双子、オスカー君とダニエル君。そのときから、子どもたちの誕生日のたびに木幡さんはカードやプレゼントを贈り、一家からは季節の便りが届く、という交流が始まりました。里親プログラム終了後も年に1〜2度の文通がずっと続きました。年々成長していく子どもたちの写真や彼らが描いた絵などは、小幡さんにとって大きな喜びとなりました。一方、イスラエルでは、「木幡さんから手紙が来たよ!」と子どもたちがはしゃぐ。子どもたちは木幡さんに会ったことを覚えてはいませんでしたが、家族の中にはいつも木幡さんの存在がありました。

里親プログラムのプロフィール作成のための面接風景

月日は流れ、子どもたちは13歳になりました。ユダヤ人男子の13歳といえば、バル・ミツバ、成人式です。それは大人の門出ともいえる人生の節目の大切な儀式で、親戚も総出でこれを祝福します。その大切なバル・ミツバを祝うにあたり、一家は木幡さんに招待状を出しました。彼らにとって木幡さんは、家族のお祝いに居てくれなければならない大切な人だったからです。そのときは駆け付けられなかった木幡さんですが、代わりに2011年2月のイスラエル旅行で12年ぶりの再会を果たすことができました。1歳だった男の子たちは、今やバル・ミツバを祝った立派な少年に。そして母マリーナさんは何と、自分が心に救い主を迎えていることを明かしてくれたのです!

私たちの愛の捧げ物を、神さまは何と素晴らしく用いてくださるのでしょう。里親プログラムは神さまと私たちの共同作業です。一人、もう一人・・・と神さまの民を約束の地に植えていく。それは地味な働きです。でもこの捧げものから始まって、やがて彼らが真の無償の愛の与え主に出会えるならば、私たちは何という特権をいただいているのでしょう。天の故郷で彼らと再会する期待と喜びが、すべての里親の皆様にありますように!皆様の尊いお働きに心から感謝して。

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