文:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)
主は「世にあっては苦難がある」と言われました。
今、コロナ禍によって世界中が苦難を通る中、主は私たちがどのように行動することを願っておられるでしょうか。

世界中の多くのクリスチャンが今の困難な時代を取り上げ、世の終わりの時が来たのかと尋ねています。そこで多用されている聖句がマタイの福音書24章です。イエスが終末について語られたオリーブ山での説教で、弟子たちも同じように世の終わりについて質問をしました。当時イスラエルはローマ帝国の圧制下にありました。大変困難な時代だったため、弟子たちも世の終わりが近いと感じていたのかもしれません。
しかし、私は別の疑問を抱いています。「マタイの福音書24章で語られているような困難な時代が訪れた時、イエスは私たちがどのように行動することを望まれるだろうか」。24章で読むのをやめてしまえば、イエスのメッセージの半分しか受け取っていないことになります。私たちがどのように行動したらいいのかについては、続く25章で語られています。
準備をする
マタイの福音書25章でイエスが最初に語られたたとえは、10人の娘の話です(1〜13節)。5人は愚かで、5人は賢い娘でした。このたとえのポイントは、準備をしておくことの必要性です。ともしびの油とは、私たちの心に働かれる御霊を表しています。と同時に、私たちが具体的に備えることにも言及しています。イエスの願いは、私たちが常に油を用意しておくことです。
与えられたものを賢く使う

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次のたとえ(25:14〜30)は、タラント、つまりお金についてです。タラントとは通貨の単位です。主人は、自分の財産をしもべに託し、それを用いてしもべが事業を展開することを期待していました。このたとえが示している神の願いは、私たちが持てるものを神の国の目的に使うことだと言えます。
たとえに登場する主人は、預けられた財産を賢く使ったしもべをほめました。「よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」(25:21、23)
困窮者のお世話をする
25章の最後では、国々(国民)に対する神の裁きについて語られています。裁きの基準は何でしょうか。弱っている人、空腹や渇きに悩まされている人、囚人や旅人、病人をどのようにお世話したかです。イエスは言われました。「まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです」(マタ25:40)
マタイ25章ミニストリー

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BFP(ブリッジス・フォー・ピース)が中心に据えているのは、このマタイの福音書25章です。毎月、空腹を抱えている2万3千人の方々に食料をお渡ししています。新移民がイスラエルに帰還し、定着できるように支え、高齢を迎えたホロコースト生存者の必要にも応えています。困窮家庭の児童・生徒にも支援の手を差し伸べています。このようにして嘆き悲しむ人々を慰めることが私たちの働きの中心です。
また、私たちが重きを置いているのはしっかりとした管理です。毎年監査も受けています。「財務責任を果たすための福音主義協議会」(ECFA)やミニストリー・ウォッチなどの組織からも、BFPは財務責任を果たしていると認められました。イスラエルとユダヤ人を祝福する団体として、神の資源を軽々しく使うことはできません。
さらに、私たちが発行する教材、聖書通読や祈りのプログラムを神が用いてくださり、皆様の心が油で満たされることを願っています。世界中のクリスチャンと聖書理解を共有するため、私たちは神のことばを学び続けています。

今私たちは、神がお定めになったタイムテーブルのどのあたりにいるのでしょうか。それは定かではありません。ただ分かっていることは、私たちが霊的にも物質的にも準備しておくことをイエスが願っておられるということです。
私たちと共に、イスラエルにいるユダヤ人、あるいは国外に離散し帰還を待ち望んでいるユダヤ人に手を差し伸べていただけませんか。私たち全員が、「よくやった。良い忠実なしもべだ」(マタ25:21)という主の御声を聞くことができるように祈っています。皆様が年の初めにBFPにお捧げくださるご支援は、皆様の愛と共にユダヤ人の琴線に触れ、主の御顔にほほ笑みをもたらすことでしょう。