ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 72 ガザ地区撤退:早期完了の見込み
8月15日、イスラエルは予定通りガザ地区からの撤退「兄弟の手」作戦を開始しました。当日は入植者と兵士らが共に泣き崩れる場面が相次ぎました。退去通告がなされてから48時間以内に、自主的に撤退した家族は790家族(全体の約54%)でした。強制撤去は48時間後に始まりました。撤退を拒否する入植者家族と、外から来た活動家らが暴力的な反抗に出てきていますが、けが人が多数出たという報告はありません。48時間後になって、撤退に同意する家族や地域が次々に出てきたため、撤退は予想以上に早く完了する見込みとなっています。
パレスチナ側からの攻撃は今のところ見られません。しかし、ユダヤ人過激派によるテロが西岸地区で再発し、ハマスなどが報復を宣言するに至っています。
主よ。私たちに起こったことを思い出してください。
私たちのそしりに目を留めてください。
顧みてください。
私たちの相続地は他国人の手に渡り、
私たちの家もよそ者の手に渡りました。(哀歌5:1-2)
15日0時、ガザ最大のユダヤ人入植地グッシュ・カティーフへの出入りが完全に閉鎖されました。午前1時、入植地の若者らがタイヤを燃やしたり、説得しようとしたラビと言い争うなどの抵抗があり、兵士が1人負傷しました。
イスラエル軍は、撤退家族が移動しやすいように各地区への入り口を守る門など(グシュ・カティーフは小さな地域に分かれている)を破壊しました。
翌朝、兵士らが地域ごとに入植地の家々を回り、16日0時までに撤退するよう、退去勧告が言い渡されました。
グッシュ・カティーフでは最大の地区「ネビ・デカリーム」では、入り口付近に集結した住民と、巡回に来た兵士らとの間でもみ合いとなり、涙の懇願や訴え、言い争いが起こりました。
住民も兵士も、抱き合って泣き崩れる光景が見られました。兵士らは、今までこの住民たちを守るために働いてきました。
多くの若者がガザでの任務で亡くなりました。しかし今は、その住民を退去させる任務に就いています。
激しい抵抗に遭い、兵士らはこの地区撤退命令を各家庭に届けることを断念しました。
「…私自身、ネツァリムやクファル・ダロン(ガザにある入植地の名前)をいつまでも保持していたいと思っていました。
しかし、ガザのパレスチナ人は今や100万人を超え、人口は増えていく一方です。しかも恐るべき貧困と過密人口の中、彼らの憎しみは納まるところを知りません。撤退は弱さではなく、私たちの強さです。
…イスラエル市民の皆さん。イスラエルの将来が私の肩に掛かっています。撤退は必ずイスラエルの益となることを確信しています。私を信じてください。痛みは大きいですが、なさねばならないことです。リスクはあります。しかしそこには私たちすべてにとっての希望もあります。
この選択が分裂ではなく、兄弟として互いに尊敬しあい、一致することへと神が導いてくださるように。私はそのために最善を尽くすつもりです。」
撤退期限48時間が切れる16日0時までに撤退した家族は790家族。(この時点で残留した家族は656家族)。
撤退した家族の中には地域全体で1家族だけというものもあり、将来の人間関係や心理的影響も懸念されます。(家族数などの数字は新聞によって若干異なっています)
抵抗が激しかったネビ・デカリームでは約半数の家族が48時間以内に自主撤退しました。
退去家族の中には、窓などもはぎとってすべてを持ち出したり、後でパレスチナ人が住まないように自ら火をつけてから退去する者もありました。
早くから退去した人が多いガザ地区北部では、退去後の家屋に×マークがつけられ、西部劇さながらの寂しい光景となっています。
48時間以内にガザに侵入しようとして逮捕された者は800人、抵抗運動で逮捕された活動家らは400人に上ります。
彼らは次々にバスに乗せられ、退去させられました。
撤退期限48時間が過ぎ、17日朝から、イスラエル軍は強制撤去の任務を開始しました。
住民のほとんどが残っているカレン・アツモナなどの地域では、住民と外からの活動家が兵士らと激しく対峙し、タイヤやごみ焼却箱(3×1×1.5m程度の金属製の箱)に火を放ったり、女性兵士が負傷するなどしましたが、交渉の結果、アツモナ地域住民は20日には退去する可能性が出てきています。
クファル・ダロン(全体で2家族のみ退去し、73家族が残留)では、多数の活動家らと共に、兵士らが地域に入ってこないようにバリケードを張りました。しかし、圧倒的多数で臨んだ軍警察部隊により、数百人の活動家らが兵士らによってバスに乗せられ、強制退去させられました。
ここでも住民との交渉の結果、全員が18日には退去することになりました。イェシバやシナゴーグは破壊せずそのまま移動させることになりました。
グシュ・カティーフ最大の地域ネビ・デカリームでは、残留していた250家族と活動家らが激しく反発し、兵士らともみ合いになりました。ごみ焼却箱に火が掛けられ、卵を兵士に投げつけるものもありました。
しかし、最も抵抗が大きいと懸念されていたイェシバ(ユダヤ教学校)では、兵士らが到着した時、すでに引越し準備をしているところでした。残留していた250以上の家族も退去に合意しています。
さまざまな地域で退去の合意が得られていることから、政府は早ければ来週始めには住民の退去は完了するとの見方を強めています。
政府は撤退者が一時滞在するホテルの部屋を1,000室から2,000室に増やして対応に当たっています。
仮設住宅ならびに住宅、130台の大型モービル・ホーム(キャンピングカーの類と思われる)が新たに追加されました。
兵士らと対峙する入植地市民の様子を見て17日、シャロン首相はカツァブ大統領との共同記者会見を通じ、「心が痛みます。皆さんにお願いします。ユニフォームの兵士らを攻撃しないでください。責任は私にあります。攻撃するなら私を攻撃してください。」と訴えました。
撤退開始後、イギリスのブレア首相は、シャロン首相の勇気ある行動に賛同する内容の書簡を出しました。隣国トルコに続いて、ブッシュ大統領もイスラエルのガザ撤退を歓迎する意向を表明しました。
アメリカのユダヤ人団体は立場を明らかにすることを控えてきましたが、シャロン首相の政策を支持する意向を表明しました。
一方、イスラム教国であるマレーシアは、「撤退はイスラエルがパレスチナ人に属する地域を占領してきたことを認めたようなもの。土地を少し譲るだけでなくパレスチナ人の国が建設されることが重要だ。」とコメントしています。
ガザではパレスチナ人がモスクで感謝の祈りを捧げ、戦勝ムードが広がっています。
7,500人のパレスチナ自治警察の治安部隊が、パレスチナ側からのテロが起こらないよう、入植地周囲に配置されています。
今のところ撤退過程におけるテロ攻撃はありませんが、イスラエル国防軍はイスラム聖戦による自爆ベルトなどを発見し、ネビ・デカリームへの攻撃が未然に防がれました。
イスラエルの軍諜報機関は、現在停戦状態にあるハマスなどが、来年春までにはテロ攻撃を再開すると予測しており、シャロン首相に警戒を呼び掛けています。
8月17日、西岸地区のシロー工場地帯に働きに来ているパレスチナ人たちの送迎に当たっていたユダヤ人運転手が、警備員の銃を使って車内に乱射、乗っていたパレスチナ人3人が死亡、2人が負傷しました。(うち1人は病院で死亡で死者は計4人)
運転手は「ユダヤ人が追い出されないように」と動機を語っています。8月に入ってから、極右翼によるパレスチナ人襲撃が2件目となりました。パレスチナ自治政府はイスラエルを激しく非難し、西岸地区からすべての銃器を取り除くよう要求しています。
ハマスは報復テロを宣言しました。
ニュース情報源:ハアレツ、エルサレムポスト、イスラエル政府プレスセンター、イスラエルインサイダー、イスラエル外務省HP他
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