ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 65 第57イスラエル独立記念日に祈る
5月11日~12日、イスラエルは戦没者記念日に続いて第57回目の独立記念日を迎えました。イスラエル政府は、「イスラエルの独立と存続を勝ち取るために犠牲となった兵士の数は、1947年から現在まで、20,368人」と発表しています。ここまで導いてくださった主に感謝すると共に、イスラエルのために戦った人々とその家族のために祈りましょう。これからのイスラエルの上に、平和と繁栄があるように祈りましょう。
幸いなことよ。
主をおのれの神とする、その国は。
神が、ご自分のものとしてお選びになった、
その民は。(詩篇33:12)
イスラエルでは毎年、独立記念日に先立って、戦没者記念の式典が行われます。今年の独立記念日は5月12日、戦没者記念日は5月11日でした。
1947年(独立前年)から現時点までにイスラエルを守るために犠牲となった兵士(警察、国境警備員、シン・ベト諜報機関など、すべての防衛機関従事者を含む)の数は20,368人。昨年中だけで169人でした。
記念式典は10日の日没19:30、嘆きの壁広場で始まりました。カツァブ大統領、ヤア ロン総参謀長をはじめ、犠牲者の家族らが参列しました。
20:00には国中にサイレンが鳴り響き、国家独立に命を懸けた人々に黙祷が捧げられました。翌11日には、エルサレムのヘルツエルの丘(最初にイスラエル国家を提唱し、建国の父と言われているテオドール・ヘルツエルの墓地がある丘、広大な戦没者墓地がある)、並びに全国に43箇所ある軍人墓地にて、記念式典が行われました。
国防省は、すべての墓石に小さなイスラエルの旗と黒いリボンを取り付け、記念式典では花が墓地に捧げられました。式典では従軍ラビがおごそかに祈り、カンターと呼ばれるユダヤ教の歌い手(テノール)が伝統的な悲嘆の調べを歌い上げました。
シャロン首相は自らもイスラエルの独立のために戦ってきた一人で次のように語っていました。
「私の指揮の下で戦ってくれた戦友たちの顔が見える。誇りにまみれた顔だ。耳をつんざくような爆発音、戦友たちの声をかき消す金属音、今でも戦場の汗と火の匂いを思い出す……。」シャロン首相は式典の中で、次のように述べました。
「この日は私たちがすべての不一致を超えてひとつになる日です。この地のために血を流した兵士たちを覚える日です。……イスラエル国家は犠牲となった人々と悲嘆を抱えておられる家族に永遠に続く感謝を持ち続けます。亡くなられた方々を忘れることはありません。……イスラエルはこの地で生き延びていきます。民主国家として市民の生活を守ります。」(ハアレツ、エルサレム・ポスト)
イスラエルでは国民全員(一部宗教派を除く)が兵役につきます。高校卒業後約3年を軍隊で過ごし、以後男性は毎年数十日の徴兵を受け続けます。
軍人だけではなく普通の市民が突然徴兵されます。朝元気に出て行った父、夫や息子が二度と帰らぬ人になる、それは一生続く苦しみです。以下は遺族の手記です。
「昨年私たちの息子エイタンはガザで戦死しました。7日間の葬儀の間中、またその後も人々が来て私たちを支えてくれました。
さまざまなテロ被害者のサポート団体が贈り物や修養会に誘ってくれ、心を込めて私たちを助けてくださいました。
彼らの働きを通して、私たちは愛されていると感じました。エイタンの友人たちも、毎週シャバットには私たちを訪ねてくれます。義務感からそうしているのではないことはよく伝わってきます。
ある日、私と夫はヘルツルの丘にある息子の墓に立ち寄りました。すると、墓石に小さな紙切れがはさんであることに気づいたのです。そこにはこう書いてありました。
『私はあなたを知りません。でも私は今イスラエルの国を知っているという祝福にあずかっています。あなたに感謝します。』」
またある時、私は突然郵便局から小包受け取りの知らせを受けました。ティベリアからの小包でした。
ティベリアに知り合いはいませんから、不思議に思って小包を開けてみました。そこにはチョコレートやキャンディなど、おいしいお菓子がいっぱい入っていました。それは女子学校の少女たちからの贈り物でした。
彼女たちは私たちに、精一杯の愛を届けてくださったのです。彼女たちはエイタンのことを教えてほしいと書いていました。それは、私が息子のいない過越の準備をしている時でした。
少女たちは、不安と悲しみで押しつぶされそうな私の顔に少しの微笑みを与えてくれました。息子を亡くした大きな穴は、もうだれにもふさぐことはできません。それでも、この少女たちのしてくれたことはどんな言葉よりも私の心を暖めてくれました。」(エルサレム・ポスト)
日本は敗戦国であるためか、イスラエルほど戦没者を覚えることが難しいことを覚えます。
また先月、兵庫県福知山線の脱線事故で107人もの方が突然に帰らぬ人になってしまいました。
イスラエルのようにサポートのシステムがない日本。
犠牲者のご家族の上に、主の支えと慰めがあることを心からお祈り申し上げます。
『ハアレツ』紙がイスラエル独立を支えた10人を公表しました。
イスラエル内務省のオフィル・ピネス・パズ氏を中心とする委員会は、移民法の内容をさらに厳しくすることを検討中です。この提案が通過すれば、片親だけがイスラエル人の子供の場合、自動的に市民権を得ることができなくなります。
外国人が市民権を獲得するための条件が厳しくなっているため、たとえイスラエル人の伴侶であっても市民権を得られない可能性が出てきます。
先月、シャロン首相に、国家治安委員会から移民法を厳しくする提案が出され、首相がそれに応じることで検討が始まりました。
法案改正の目的は、ユダヤ人以外の外国人が市民権を取ることを阻止することです。ピネス・パズ委員会は移民法だけでなく、帰還法の改正も検討中です。(エルサレム・ポスト)
日本人演出家の椿昇さんが、イスラエルとパレスチナの間の分離壁(イスラエルは防護壁と呼ぶ)を舞台にした演劇で世界に防護壁の実態を広める役割を果たしました。
ラマラにアル・カサバという劇団があります。創始者はジョージ・イブラヒム。アル・カサバが発表した演劇「占領下のストーリー」はエジプトのカイロ演劇フェスティバルで受賞し、東京‘(昨年3月)を含む世界都市で巡回公演を行いました。
椿氏は東京公演で彼らに出会いました。その後椿氏はラマラを訪れ、実際の防護壁を見、現地のパレスチナ人俳優と交わりながら「占領下のストーリー2」をプロデュースしました。東京公演で成功を収めた後、椿氏はホームページを立て上げ、実際の壁を紹介したり、舞台を鑑賞した人がコメントを自由に書き込めるようにもしました。
インターネットに載せることによって、演劇そのもの以上に、壁の事実を世界に広める結果となりました。http://anj.or.jp//una/(ハアレツ)
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