ホーム > 祈る > ハイメール通信 登録・停止 > バックナンバー > ハイメール通信No. 58 ホロコースト60周年を迎えて
1945年1月27日、アウシュビッツ強制収容所がロシア軍によって解放されました。60年後の同日、アウシュビッツで記念式典が行われ、40人の首脳が列席しました。国連ではイスラエル建国以来始めて総会でホロコーストの特別セッションがあり、イスラエルへの責任が確認されました。日本も今年原爆投下60周年を迎えます。互いに殺しあうことしかできない罪深き私たちです。主の前に出てへりくだるときです。
あなたの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、
恥があなたをおおい、あなたは永遠に絶やされる。
他国人がエルサレムの財宝を奪い去り、
外国人がその門に押し入り、
エルサレムをくじ引きにして取った日、
あなたもまた彼らのうちのひとりのように、
知らぬ顔で立っていた。(オバデヤ:10-11)
1月27日、ポーランド大統領がアウシュビッツ解放60周年を迎え記念式典を行いました。
当初ロシアのプーチン大統領、イスラエルのカツァブ大統領だけが招かれていました。
しかし式典のことを聞きつけたフランスのシラク大統領が出席を申し入れたのをはじめ、ドイツのコフラー大統領ら40人の首脳も出席することとなりました。
また式典にはホロコーストの生存者約2,000人が出席していました。アウシュビッツから60Km離れたクラカウには10,000人が宿泊し、報道陣も1,600人と報告されています。
式典は、ユダヤ人を箱づめにして到着した列車の汽笛の音で始まりました。
第二次世界大戦中、当時のドイツを指揮していたヒトラーがユダヤ人絶滅計画を発案。強制収容所を造ってユダヤ人を中心とする他民族を大量虐殺しました。
その数600万人といわれています。アウシュビッツ(ビルケナウ)は収容所の中でも最大で、ここだけで150万人が虐殺されました。
うち100万人以上がユダヤ人でした。列車で運ばれてきたユダヤ人はドイツ軍将校の指一本で、右か左、ガス室か強制労働、医学実験用にと振り分けられました。
式典のあった日、気温は氷点下6度。アウシュビッツ付の冬は大変厳しく少なくとも氷点下15度にまで下がります。
当時のユダヤ人たちはその寒さの中で、うすい囚人服と木の靴だけ(靴下なし)の状態で外に何時間も立たされたのです。
列席者の中には、今自分が着ている暖かいコートから寒さと飢に死んでいった人々に思いをはせました。
1945年1月、アウシュビッツを解放したのはロシア軍でした。ロシア軍が到着したとき、生存者は7,000人でした。
イスラエル・カツァブ大統領:「ここはヨーロッパ中からくる汽車の最終駅。犠牲者の叫びが今もきこえてくるようです。今ヨーロッパの反ユダヤ主義は悪くなっています。ホロコーストはもはや抑止力にはならないのでしょうか」
ロシア・プーチン大統領:「ロシアの反ユダヤ主義に恥じ入る」
プーチン大統領は、ロシアに根強くある反ユダヤ主義と他民族排除主義が台頭してきていること、またロシア政府がとっている対策が功を奏していないことを認めました。
ロシアの反ユダヤ主義を恥じ入るとともに、世界中で反ユダヤ主義が高まっていることにわれわれは恥じ入るべきだと発言しました。(ハアレツ1月28、29日)
プーチン大統領が恥じ入るといっている通り、旧ソ連(ウクライナとロシア)では昨年反ユダヤ主義事件が急増しました。
2003年から2004年にかけて反ユダヤ主義行為146件が295件に、うち暴力行為は35件から110件になりました。
イギリスにおける反ユダヤ主義も顕著で、過去4年間に100件のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)が焼き討ちに遭いました。(ハアレツ1月24日)
ドイツ・コフラー大統領:ホロコーストの責任を負う国として終始沈黙。
コフラー大統領はこの後2月1日イスラエルを訪問。ヤド・バシェム(ホロコースト記念館)にも足を運びました。
「悲しみと痛み、恥」を感じたと言いました。翌2日にはイスラエルの国会で深い謝罪の意を表明し、赦しを請うことになっています。
ドイツはホロコースト当事国として被害者に多大な補償をしています(80億ドル)。また、ユダヤ人移民を優遇しているため、同国に移住するユダヤ人は増え続けています。
貿易を通じてイスラエルとの関係も改善しつつあります。(ハアレツ2月1日)
イスラエルにはホロコーストを生き延びた人が25万人以上います。彼らにとってホロコーストはまだ終わっていません。
イスラエル人の多くはいまだドイツ製品のボイコットをしています。
強制収容所で演奏されたワーグナーの曲は国営放送のほか、コンサート・ホールにおいても演奏することが禁じられています。
厚生大臣のナバ氏(ホロコースト生き残りの息子)はドイツの大統領がイスラエルの国会で発言することは犠牲者の感情に触れるとし、コフラー大統領が国会に来る日は欠席する予定にしています。(ハアレツ2月1日)
アリエル・シャロン首相:「世界はホロコーストを止めるために指一本動かさなかった」
シャロン首相はホロコースト60周年のスピーチで次のように語りました。
「虐殺が行われていたそのもっともひどいときに、世界は指一本動かさなかった。ユダヤ人はユダヤ人にたよるしかない。これがわれわれがホロコーストから学んだことです。
イスラエルはこの教訓をもとに、イスラエル人を世界のユダヤ人を防衛することに力を尽くしてきました。忘れてはいけません。イスラエルは世界で唯一ユダヤ人が自分で自分を守ることのできる場所なのです。
イスラエルだけは絶対に引き渡すことはありません。」(ハアレツ1月26日)
1月24日、イスラエルの国連大使ギラーマン氏の働き掛けにより、国連総会においてホロコースト特別セッションが実現しました。
反イスラエル的な決議が数え切れないほど打ち出されてきた国連総会でユダヤ教のヘブライ語による祈り(しらべにのせた歌:通常男性テノール)が捧げられました。
その後にはイスラエル国家(ハティクバ)が総会に響き渡りました。これは建国以来初めてのことです。
アナン事務総長は次のように語りました。
「ナチの目的はある民族を監視するために一箇所に集めたのではありません。
民族すべてを絶滅させようとしたことを忘れてはいけません。
今の国連はナチズムの悪、またはホロコーストの恐怖から使命を与えられたのだということを決して忘れてはいけないのです(今の国連は第二次世界大戦後にうまれた組織です)。
国連主任でノーベル平和賞受賞者のウィーゼル氏は自らがホロコーストの生き残りです。次のように語りました。
「犠牲者は拷問を受けたり、虐殺されただけではありません。私たちは世界が沈黙していたということに傷ついたのです。今、少なくとも世界は私たちの声に耳を傾けようとしています。」
2月8日、エジプトのムバラク大統領の仲介によりシャロン首相とアッバス議長が、エジプトのシャルムエルシェイクで会談することとなりました。
両者が会うのはこれが初めてになります。エジプトは、ハマス、イスラム聖戦の指導者たちとも会い、停戦の交渉を進めています。
今週末にはアメリカの新しい国務長官ライス氏が中東を訪問するため、和平への動きをアピールしたい考えです。(エルサレム・ポスト、ハアレツ)
クネセット(イスラエル国会)前にはガザ・西岸地区撤退分離案に反対する群集がデモを続けています。
チャンネル10によると、デモ隊は13万人と報告されています。同じオレンジの服を着用し、ヘブライ語や英語のプラカードを掲げます。
彼らは、分離案について国民投票をするようシャロン首相に要求しています。(1月30日ハアレツ)
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