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契約という真の土台 -後編-

文:シェリル・ハウアー(BFP副会長)

イスラエルの民は歴史上、何度もその生存を脅かされてきました。しかし今や、国家が再建され、先進国と呼ばれるまでに成長しています。これは、人知をはるかに超えた奇跡です。この奇跡の土台には、神がイスラエルと結ばれた契約があります。その契約について学んでまいりましょう。

虹は神とノアの契約のしるしです。割礼は創世紀17章の契約のしるしであり、安息日はシナイ契約のしるしです。同様に、創世紀15章で結ばれた契約のしるしは、イスラエルの国土だと信じている人もいます。いずれにしても創世紀15章の儀式を通して、神はアブラハムとその子孫と、極めて特別な関係を持つことになりました。彼らは神の瞳の民、神が情熱的に愛し、厳しく訓練する神の大切な所有、大いなるあわれみと赦しを受ける民となったのです。ラビたちは、創世記15〜17章で表された契約関係は、シナイで更新されたと教えています。トーラー(モーセ五書)が与えられた後、モーセは契約の捧げ物の血を民と主の祭壇の上に注ぎ掛け、神が、ご自身とイスラエルを合わせて一つとすることを確固たるものとしました(出24:6-8)。

契約の推移

ラビ・アービング・グリーンバーグは、トーラーとは「神とユダヤ人の継続的な関係の規約」だと説明しています。みことばを読むと、その多くは達成できそうもなく、無限で永遠のものであることが明確です。人知をはるかに超えた神、歴史をしのぐ運命、達成できそうにない期待や考え―これらは、私たちが住む、限界と崩壊を抱えた不完全な世界には全く釣り合わないとグリーンバーグ氏は言います。しかし、そこに契約が介入するのです。この契約の約束を通して、達成し得ないものが達成でき、永遠と有限とが交わり、神の約束が現実になるのです。

先月号で記したように、契約は歴史の中で実現されなくてはなりません。イスラエルがつくられたのは、契約社会における唯一の模範となるためでした。契約の書はその目的を達成するための命令であふれています。どのように神を愛し、神をほめたたえ、御名に栄光を帰し、互いに関係を築き、隣人を愛し、道徳的な事業を運営し、世界平和をもたらし、愛し愛されるようになるのか。さらに、どのように貧しい人の面倒を見、見知らぬ人や外国人に対応し、友となり兄弟となり父や母となり、こうしたことに無関心な世に敬虔(けいけん)を示すのか。契約の書は、こうした命令をユダヤ人が実行していくすべを指示しています。これら高尚な目標は段階的に達成していかなくてはなりませんが、その完成に向かって一歩一歩前進できるのは契約があるおかげです。

グリーンバーグ氏によると、各世代は契約の書にある原則に従って果たすべき分を果たし、最終目的に向かって進み、次の世代に残りの旅路を委ねるそうです。契約によって理想と現実は結び付き、その活力に満ちた関係は神の最終目的が現実になるまで続きます。ユダヤ人は、神がご自分の友アブラハムに語り掛けられた最初の時から、神がすべてのものを正しくされる時までつながっていく民族であると、自らを認識しているのです。

神と人との関係もまた、プロセスの途上にあることは間違いありません。ユダヤ人にとって暗黒の時代こそ、歴史の中で契約の現実とプロセスを示す時代だったとラビ・サックスは信じ、次のように語ります。

「ユダヤ人がホロコーストを生き延びたという事実は、契約が今も存在し、神の御声が引き続き聞こえていることの証明である。シナイ山に立った人々の後継者である彼らにとっては、すぐには理解し難い不明瞭なことであったかもしれないが…」

聖書を読む時、そこに書かれていることが数世紀の間に現実に起こったということを私たちは忘れがちです。今日、何千年も前に始まったプロセスが目の前で現実のものとなっています。数え切れない世代の間、ユダヤ人の希望となっていた契約を、神が成就しておられるのです。

神はシナイ山でイスラエルの民と
契約を結ばれました

「彼らは昔の廃墟を建て直し、先の荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する。他国人は、あなたがたの羊の群れを飼うようになり、外国人が、あなたがたの農夫となり、ぶどう作りとなる」(イザ61:4-5

…わたしが彼らの目の前であなたがたのうちにわたしの聖なることを示すとき、諸国の民は、わたしが主であることを知ろう。─神である主の御告げ─わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く(エゼ36:23-24

わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らとのとこしえの契約となる。わたしは彼らをかばい、彼らをふやし、わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、諸国の民は、わたしがイスラエルを聖別する主であることを知ろう」(エゼ37:26〜28

見よ。わたしは、わたしの怒りと、憤りと、激怒とをもって散らしたすべての国々から彼らを集め、この所に帰らせ、安らかに住まわせる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる」(エレ32:37-38

わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。わたしは彼らを幸福にして、彼らをわたしの喜びとし、真実をもって、心を尽くし思いを尽くして、彼らをこの国に植えよう」(エレ32:40-41

永遠に結び合わされる

神の民が契約への応答を期待されているのと同様に、神ご自身も契約に結び付けられているという考えは本当におそれ多いことです。両者は互いに献身し合い、愛し応答し合い、真心を尽くし合うのです。神に忠実であれば、神は神の民を大切に守られます。神の民は神の似姿につくられたのですから、もちろんそうでなくてはならなかったのです。もし民が模範的な契約の人生を送ることに献身し、神の誠実さを表す者となっていたら、神も民に応えてくださっていたことでしょう。この考えはヨム・キプール(大贖罪日)に歌われる歌の中に美しく描写されています。

契約によって神と私たちは
結び付けられています
Photo by spixel/shutterstock.com

 我らはあなたの民で、あなたは我らの神
 ゆえに我らはあなたの子どもで、あなたは我らの父
 我らはあなたのしもべで、あなたは我らの主人
 我らはあなたの群れで、あなたは我らが受ける分
 我らはあなたの相続で、あなたは我らの定め
 我らはあなたの羊で、あなたは我らの羊飼い
 我らはあなたのブドウの木で、あなたは我らの守護者
 我らはあなたの御手の業で、あなたは我らのつくり主
 我らはあなたから愛され、あなたは我らが愛するお方
 我らはあなたの宝で、あなたは我らの神
 我らはあなたの民で、あなたは我らの王
 我らがあなたを認めると、あなたも我らを認めてくださる

クリスチャンとしてアブラハム、イサク、ヤコブの神との契約にあずかることは、途方もない祝福であり特権です。契約の書はユダヤ教にとってもキリスト教にとっても重要な土台であり、ユダヤ人と同様に私たちにとっても世界観の一部でなくてはなりません。契約の書は、イエスが詩篇に次いで引用されたほど非常に重要です。私たちの生き方や神を敬う姿を通して、また神を知り、神を愛し、神に愛されるとはどういうことかを世に示すことこそ、クリスチャンの信仰の基盤です。また、契約関係にあるとは具体的にどういう意味であるのかを理解し、心に留めるように私たちは命じられています。私たちは主に約束し、主も私たちに約束しておられます。私たちは互いに永遠に結び付いているのです。私たちが神に結び付く時、「主は…その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」(ゼパ3:17)のです。

最後にもう一度ラビ・サックスを引用します。

「ユダヤ人が生き延びた秘訣は何だったのか。信仰がその答えを示唆している。シナイ山で、イスラエルと神は契約という、厳粛で互いに拘束される誓いを交わした。それはイスラエルが神に献身し、神はその見返りにイスラエルを守るというものだった。エレミヤの言葉によると、太陽と星が空に輝き、海の波が騒ぐ限り、ユダヤ人は存在する(エレ31:35)。

イスラエルは神の証人であり、永遠に神を映し出すのである。ユダヤ人が生き延びている理由は簡単だ。私たちの歴史には、歴史よりも大きな神の摂理が織り込まれているからだ」

その摂理の中心は想像を超えた愛です。気付かれることがなくても守り導き、聞いてもらえなくても語り、見返りがなくても愛し、協力者がいなくてもご自分の目的と願いはすべて成就されたと見なし続ける誠実さです。そこにあるのは永遠の一致であり、「感謝します、感謝します、感謝します」という感謝の念にあふれた叫びがふさわしいと言えるでしょう。それが契約なのです。

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