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神は何を愛しておられるのか -後編-

文:レベッカ・J・ブリマー(BFP国際会長)

前編では、神が人々を愛しておられることを聖書から学びました。後編では、神が「義」と「シオン」を愛しておられる姿から、実生活にも生かせるポイントを学んでまいりましょう。

「主は…シオンのもろもろの門を愛される。(詩87:2)」 Michio Nagata/bridgesforpeace.com

神は正義と公正を愛される

愛情あふれるクリスチャンホームで育った私は、両親から愛されていることを知っていました。たとえ私が言うことを聞かなくても、どんな行動を取ったとしても、その愛は変わりませんでした。私が両親の子どもというだけで愛されたのです。同じように神は、ご自分の家族として生まれた者を無条件で愛されます。神は私たちに完全な行いを期待してはいません。

その一方で、神は行動規範を持っています。そうした生き方をご自分の家族が受け入れることを神は期待しています。快く神の道に従う人は、豊かで平安で、霊的にも健康な生活を送り、神の道に反することを選ぶ人は自分の行動の結果を刈り取ることになるのです。

聖書は神の道に生きることを「義」と呼びます。簡単に言うなら、義とは正しいことを行うことです。ユダヤ百科辞典では、義について「法的、道徳的義務を全うすること。抽象的な見解ではなく、あらゆる人間関係の中で公正で正しいことを行うこと」と定義しています。さらに、「義の行いは社会的安定と恒久平和をもたらす」ともあります。

義は平和をつくり出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(イザ32:17)
恵みとまこととは、互いに出会い、義と平和とは、互いに口づけしています。まことは地から生えいで、義は天から見おろしています。(詩85:10-11)
ユダヤの賢者エルアザル・ベン・シャモア(AD150年)は「世界は義という一本の柱に支えられている」と言いました。

なぜ神は義を愛されるのでしょうか。すべての人が正しく生きる世界を想像してみてください。そこには憎しみも、貪欲(どんよく)も、殺人も、姦淫(かんいん)も、情欲も、強欲もありません。誰もが神の愛の律法に従い、神のご計画に従ってすべてのことを行っていたら、私たちの生きる世界は今とは全く違うものになっていたことでしょう。人々は自分の願望よりも互いを気遣い、共同体のことを気に掛けていたはずです。

神が義なるお方であり、正義を愛するという考えは、前編に示した概念と密接に関わっています。すなわち、神は人々を愛しておられるということです。神の望みは、私たちが一致して平和に暮らすことです。

人間は誰しも問題を抱えています。正しく生きたいと願っても、自分の期待にさえ添えないことがよくあります。それなのにどうやって神を喜ばせることができるというのでしょうか。ソロモンは「この地上には、善を行い、罪を犯さない正しい人はひとりもいないから。(伝7:20)」と記しました。使徒パウロもこれに同意し、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず(ロマ3:23)」と述べています。

あわれみ深い神はイエス・キリストを遣わして罪のない生活を送らせ、私たちの罪のために主の血を流してくださいました。私たちはイエスを信じる信仰によって、救い主イエスにあって神の義とされたのです(ロマ3:22)。神は罪のないイエスの義を通して信者を見てくださいますが、それは私たちが義に関心を持つのをやめてもいいということにはなりません。パウロはこの問題に対して次のように語っています。「…恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。(ロマ6:1-2)

先に引用したユダヤ百科辞典には「完全な義に到達することが不可能だからといって、そこに到達するための絶え間ない努力をやめてはならない」とあります。

私たち信じる者には、イエスの御業による救いの賜物だけでなく、義へと導いてくださる聖霊も与えられています。クリスチャンに与えられたのは罪を犯す自由ではなく、罪に打ち勝つためのあらゆる手段です。私たちは日々、どのように生きるのかを選択しなくてはなりません。正しい生き方か、そうでない生き方かを選ぶのです。

イエス、パウロ、ヨハネの言葉を考えてみましょう。

義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。(マタ5:6)

まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。(マタ5:20)

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタ6:33)

また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。(ロマ6:13)

目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。神についての正しい知識を持っていない人たちがいます。私はあなたがたをはずかしめるために、こう言っているのです。(Ⅰコリ15:34)

「主は正義と公正を愛される。地は主の恵みに満ちている。
(詩33:5)」  Andrey_Popow/shutterstock.com

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。─光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです─そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。(エペ5:8-10)

「ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、(エペ6:13-14)

もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行う者がみな神から生まれたこともわかるはずです。(Ⅰヨハ2:29)

そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行わない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。(Ⅰヨハ3:10)

これらのみことばから、私たちは義を実践し、正しい生き方を選び、罪(正しくないこと)と戦う必要があると分かります。不可能ではありませんが、簡単なことでもありません。

ですから、次のみことばを覚えておきましょう。「私は、私を強くしてくださる方(メシア)によって、どんなことでもできるのです。(ピリ4:13)
…恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。(ピリ2:12)」とあるように、自分の側の努力も必要です。

「公正」とは法的な概念です。誤りが起これば裁判にかけられます。また、困窮した人が司法の場に出るのは誤りを正すためです。人が常に正しい行動を取っているなら、裁判所や弁護士、判事や刑罰も必要ありません。正しい人が貧しい人の面倒を見ることで貧困もなくなり、情欲は制御されて売春もなくなります。公正を愛し、人々を心に掛けておられる神は、こうした誤りを正したいのです。

聖書で義と訳されている単語は、ヘブライ語では「ツェデク」と言います。これと同じ語根の言葉が、「ツァディク(正しい)」と「ツェダカー(慈善)」です。

ユダヤの考えでは、義人(ツァディク)になりたいなら慈善を欠かすことはできません。貧しい人の面倒を見るのは聖書的であり、ユダヤ的な考えの中でも最も重要なことです。コリント人への手紙第二9章で、パウロは与えること(ツェダカー)を取り上げ、「神は喜んで与える人を愛してくださいます。(Ⅱコリ9:7)」と言いました。

神はシオンを愛される

聖書によれば、神はシオン(エルサレムの別名)を愛しておられます。「主は…シオンのもろもろの門を愛され(詩87:2)」、シオンの山を愛されます(詩78:68)。

神はイスラエルを愛しておられるのです!「しかし、あなたがたが、渡って行って、所有しようとしている地は、山と谷の地であり、天の雨で潤っている。そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。(申11:11-12)

神が愛しておられるものを愛しましょう

前編の冒頭で、私は、神が愛しているものを愛するよう信者に勧めていると述べました。それはつまり、信者、未信者を問わず人々を愛し、ユダヤ人を愛し、義と公正を愛し、貧しい人々に喜んで与え、イスラエルとエルサレムを愛するということです。

これらを生活の中でどのように実践できるでしょうか。まずは一番簡単なところから始めてみましょう。イスラエルに来て、神が愛しておられるその地と町をご自分の目で見てください。イスラエル国民、すなわち神が祖先に約束された地に帰還してきた人々を愛しましょう。義と公正という目標を胸に抱きましょう。毎日正しい選択をし、正しい行動に影響を与えるよう努力しましょう。そして、自分の持ち物を貧しい人と分かち合いましょう。神の助けにより、それができます。

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