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ティーチングレター

困難な時代に神から与えられる特質 -前編-

TEXT: レベッカ・J・ブリマー [BFP国際会長]

聖書時代と同様、私たちの生きる時代にも多くの困難があります。
それに対処するため特別に語られた4つの特質について、皆さんにお分かちしたいと思います。 前半では「知恵」と「勇気」について学びます。

ダニエル書には、神が非常に変わった方法でコミュニケーションを取られた例えがあります。宴会の最中に突然手が現れて、壁に文字を書き始めました。ある朝、ベッドの上で横になっていたとき、私も似たような体験をしました。夢を見ていたのか、幻を見たのか定かではありませんが、ホワイトボードに字を書く手を見ました。四つの言葉が現れました。「知恵」、「勇気」、「忠実」、「」です。すぐに、それが私とブリッジス・フォー・ピースへの重要なメッセージであると感じました。その週、エルサレムで役員会を開くことになっていたので、私はすぐにこのメッセージについて祈りました。その中で、これらの特質がこれから非常に重要になるということが分かりました。そして私たちの中でこの領域を強化していただくよう、神に祈りました。

その三週後、大地震とそれに続く猛烈な津波が日本を襲いました。その状況下で、私たちはどのように日本で活動を続けるべきか「知恵」が必要でした。日本は、BFPに対する支援において世界で2番目に重要な役割を果たしている国です。BFPの日本チームは、この人間の力ではどうすることもできない災害のただ中で、「勇気」を必要としました。財政状態の悪化が予測される中、イスラエルと全世界における私たちのプロジェクトを「忠実」に継続するようチャレンジを受けました。そして、すべてのことを「」を持って実行するようにと気付かされました。

3月11日の大震災以来、これらの特質をよく思い出すようになりました。あらゆる状況に直面するとき「どうすれば、知恵、勇気、忠実、愛をもって応えることができるのだろうか。」と自問します。今、皆さんが何と向き合っておられるのか私には分かりません。しかし主は「わたしはあなたがたが困難なときでさえも、わたしの働きに愛を持って忠実に仕えることができるように、知恵と勇気を与える」と、私たちすべてに語っておられると信じます。

知 恵

ソロモンが王になったとき、知恵の必要を認識しました。主はある夜、彼に現れて言いました。「あなたに何を与えようか。願え。」(II歴代1:7) ソロモンは神に言いました。「今、知恵と知識を私に下さい。そうすれば、私はこの民の前に出はいりいたします。さもなければ、だれに、この大いなる、あなたの民をさばくことができましょうか。」(II歴代1:10) ソロモンと同様、多くのリーダーたちは知恵を必要とします。私もしばしば知恵を求めて祈ります。多くの問題は、他のスタッフが解決してくれますから、私のところに届く問題は大抵が難しい問題です。主の知恵なしでは、簡単に解決することはできません。

「知恵」を表す最も一般的なヘブライ語には、「技術、賢明さ、洞察、道徳的識別力、正義の理解、知性と思慮分別」など多くの概念を含みます。The EncyclopediaJudaica for Youth (青年向けユダヤ百科事典)では、「知恵」をこのようにまとめています。「知恵はイスラエル人としてよりも、むしろ人間として、経験、推論、道徳、関心を強調して生きる考え方であり態度である。しかし、知恵は単なる知的能力または学力ではなく、真の知恵は、神を恐れることと道徳的生活に基づいていなければならない。」

聖書は、知恵が宝であると教えています。「知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これには比べられないからだ。」(箴8:11)「幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。」(箴3:13) 「知恵を得ることは、黄金を得るよりもはるかにまさる。」(箴16:16) 「なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし」(箴8:35) 「知恵は武器にまさり」(伝道者9:18)

知恵に関連する語

知恵は、聖書の中で少なくとも3つの言葉と関係しています。「知識」「主を恐れる」「訓戒」です。 たとえ多くの「知識」を持っていたとしても、ユダヤ的理解では、人は自分の知性を通して知恵を得ることはできないとしています。トーラー(モーセ五書)を学ぶことで知恵を得るか、または賢人から学ぶ必要があります。18世紀のタルムード学者エリヤ・ガオンは、神を知恵の源と認めて「知恵とトーラーは、一つの源から流れる。」と、言いました。

二番目の「主を恐れる」ことは、聖書の中で、7回、知恵の概念と関連して使用されています。例えば、箴言9章10節「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」(ヨブ28:28、詩111:10、箴1:7、15:33、イザヤ11:2、33:6)アートスクロールの箴言についての解説によると「このように度々繰り返されるのは、その2つの関連が重要であることを示している。神は、宇宙といのちの創造主であり、すべての知恵は、神から出る。神への畏敬の念と御旨への従順なしで、この宇宙のデザインの中における人の立場を理解することは不可能である。人が真のゴールに到達するためには、知恵から出発する必要がある。」と書かれています。また、ミシュナー(口伝律法)にも「もし知恵がないなら、神への恐れはない。」と書かれています。

知恵に関連する三番目の言葉、「訓戒」 (懲らしめ、矯正、訓練)は、箴言に多く書かれています。ソロモン王は言います。「これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、」(箴1:2-3)そして、アートスクロールによると、「『人の心の思い計ることは、*初めから(=幼いころから)悪であるからだ。… 』(創世8:21)とトーラーで述べているように、アダムの子孫である私たち人間は、悪に向かう傾向にあり、人には「訓戒」が必要である。」私たちが主を恐れるとき、主の偉大さ、哀れみ、救い、義なる裁きに恐れおののきます。神を恐れることによって得られる「知恵」まで私たちを導くために、神は、困難、戒め、苦悩を用いられるかもしれません。

勇 気

現代においても男女を問わず、人の心は恐れに捕らわれます。確かに、ニュースの見出しは、さらなる恐怖を引き起こし、震えさせます。どこを向いても災害が起こるという予報を聞きます。不況の悪化は避けられないだろうと言う人たちもいれば、グローバリズムの危険性に、注意を喚起する人もいます。戦争と戦争のうわさは、世の終わりの前兆としてイエスが預言していました。理不尽な事柄が増え、道徳が失墜しています。天災は、私たちの命と財産を奪い、恐れで私たちをのみ込んでしまいます。ですから、今までになかったほどの勇気が私たちには必要です。

聖書の中で、「勇気」と訳されているヘブライ語には、「強い、油断がない、勇敢、勇ましい、頑強、大胆、固い、熱心」などの意味が含まれています。

この言葉は、何度かヨシュアに関して使われています。モーセは亡くなる直前、「強くあれ、雄々しくあれ。」とヨシュアを3度励ましたと記されています(申命31:6-7、23)。イスラエルの子らがヨルダン川の岸辺で、ヨシュアの横に並んだとき、人々が恐怖に襲われたのは明らかです。そのとき神がヨシュアに、3度言われました。「強くあれ、雄々しくあれ。」(ヨシュア1:6、9)「ただ強く、雄々しくあって、」(ヨシュア1:7)。その後再びヨシュア記10章25節で、ヨシュアはリーダーたちに、神が「強くあれ、雄々しくあれ」と言われたことを思い出させています。

勇気を持つことは、恐れがないという意味ではありません。むしろ、恐れに満ちた現実に直面したとき、立ち上がり、困難に立ち向かうことを意味します。多くのカウボーイ映画に出演したアメリカの俳優ジョン・ウェインは、「勇気とは、死ぬほど怖いが、それでも鞍にまたがることだ。」と言いました。アメリカの諷刺家マーク・トウェイン曰(いわ)く、「勇気は、恐れに抵抗し、恐れを支配することであって、恐れが無くなることではない。」ハンガリーのジャーナリスト、アーサー・ケストラーは「勇気とは、行動が恐れから影響を受けることを拒むことである。」と言いました。

イスラエルのクムラン遺跡近くの崖から、友人たちと一緒に垂直にザイルで下降したときのことを思い出します。高さ85メートルの崖の端から一歩足を外すと、私の全体重はロープに寄り掛かりました。見下ろすと、下にいる友人たちが蟻のように見えました。私の体はロープにしっかりとつながり、適切な装備をすべて身に着けていて、しかも他の人たちが安全に下降するのを何度も見ていたにもかかわらず、突然、恐れが私の心を掴みました。そして、私は固まってしまいました。上にも下にも動くことができません。ようやく、この状況から脱出する唯一の方法は下に降りることだと気付き、私は神に助けてくださいと祈りました。恐怖に直面しつつも神の助けと励ましを得て、私はゴールに安全に到達しました。

ヨシュアの場合、神はただ「元気を出して仕事をしなさい。」と言われたのではありません。「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア1:9)

今、私たちは本当の脅威にさらされて、勇気を持つ必要があります。聖書時代、人々は約束の地を獲得するときに、巨人や城壁に直面しました。今日、私たちはとてつもなく大きなチャレンジと難題に直面しています。そして、多くの場合、そのための明確な解決案を見出すことができません。私たちは、強く雄々しくあって、神が常に共におられることを思い出す必要があります。イエスは、このように弟子たちを勇気づけました。「…見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)

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