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4つのレンズを通して見るイスラエル -後編-

ビル・アダムズ/BFP米国副局長

前編では、『4つのレンズを通して見るイスラエル』と題し、イスラエルとユダヤ人についての奥義をローマ人への手紙9章から11章に焦点を当て、学び始めました。後編はその第二のレンズ「置き換え」から続けて学んでまいりましょう。

第二のレンズ ――「置き換え」

敬遠よりダメージが大きいのが高慢です。敬遠が無視となり、やがて軽視となって次第に高慢になっていきます。パウロは警告を与えています。「そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。」(ローマ11・20) ユダヤ人に対する敬遠から軽視となる過程は、初期のローマ教会に始まります。これは、それ以降何世紀にもわたってユダヤ人が顧みられなくなったことからも伺うことができます。

ローマ人への手紙が書かれた当時、ユダヤ人よりもイエス・キリストを信じる異邦人が増えていく中で、パウロは9章から11章「接ぎ木された異邦人クリスチャンが、その台木であるイスラエルに対し誇ってはいけない」と明確に語りました。さらに、神は栽培種のオリーブであるユダヤ人に接ぎ木された、野生種なる異邦人クリスチャンの枝を切り落とすことをいとわれないと警告しています。「もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。」(ローマ11・21)。神がイスラエル民族の契約を異邦人教会に置き換えるなら、ご自身の契約を破られたということになります。しかしそれは決してあり得ないことです。

敬遠、軽視、高慢の過程を経て、近代は個人主義的傾向が強くなってきました。「私は私の救いを失っていない」と、個人の救いにのみ焦点が当てられがちです。そのため、神が「高価で尊い」と言って大切にされているユダヤ人を、自分のための単なる教訓の「型」として捉えるようになっています。神はイスラエルとの契約を破棄し、それを教会にお与えになるという置き換えをしてはおられません。今こそ私たち異邦人クリスチャンは、神がイスラエルと結ばれた契約は決して変わることがないことを知り、パウロがここで私たちに伝えようとした真理を知る時です。

第三のレンズ――「過大な評価」

「敬遠」と「置き換え」の歴史を修正するべく、逆にイスラエルが過大に評価されてきた事実を知ることもまた重要です。振り子を戻そうとして、逆方向に戻し過ぎることがしばしばあります。ある人たちはイスラエルが神の選びの国であって、過ちを犯すことがないと教えています。その理論に沿うなら、イスラエル政府のあらゆる決定が神によってなされたことになります。もちろんそんなことはあり得ませんし、真実ではありません。

またある人たちは神とユダヤ人との特別な関係に焦点を当て、「二契約神学」を唱えるようになりました。異邦人クリスチャンはイエス・キリストによる新しい契約によって救われ、ユダヤ人はアブラハム・モーセ契約によって救われるという教えです。救いに至る道は一つしかありません。この神学は福音主義の中で否定された、誤った神学的概念です。

イスラエルの奥義(ローマ11・25)を説明するとき、イスラエルを民族全体として考えるか、個人個人として考えるかという点が問題となります。神はいつも一人ひとりを個人として愛しておられますが、聖書全体を通して神は、イスラエルを基本的に民族として取り扱っておられます。この地上で神から特別な契約を与えられている民族はイスラエル以外一つもありません。

彼らは諸国の中にあって神の存在を証明し、ほめたたえるために存在します。イスラエル民族の優劣にかかわらず、神の霊的な祝福、実質的な祝福は彼らを通して運ばれてきました。トーラー(モーセ五書)、契約、預言、聖書、使徒、そしてイエスご自身、これらすべてはイスラエル民族を通してこの世界に与えられました。また、ユダヤ人人口は世界人口のたった0・25%であるのに、彼らはアスピリン、ポリオワクチン、ジフテリア治療の血清、輸血、肝炎ワクチン、抗生物質、ビタミンなど多くのものを開発、提供し、私たちの命を守りました。神が称賛されない部分は私たちも褒めるべきではありませんが、ユダヤ人がどんな状況下にあっても異邦人クリスチャンは次のみことばを覚えておくようにとパウロは言っています。「神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ローマ11・29)

第四のレンズ――「正当な理解」

私たちはイスラエルを「敬遠」「置き換え」「過大な評価」というレンズを通して見てはならないことに気づき始めています。また、実際のイスラエルはそれらの解釈とは対照的な存在であることも明らかになってきました。パウロが、ローマ人への手紙11章28節で神の選びに関して述べていることに目を留めましょう。今、あなたの前にいるユダヤ人はアブラハム、イサク、ヤコブの子孫として神に愛されている人たちです。ですから、たとえユダヤ人が神に敵対しているかのように見えても、みことばに「彼らは・・・・・・父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。」とあるように、神の時を待ち、彼らは存続し続けているのです。

パウロはローマ人への手紙11章で、イスラエルは栽培種のオリーブであり、異邦人クリスチャンはその枝に接ぎ木された野生種のオリーブであると言っています。これは、エペソ人への手紙2章14節「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、」という、ユダヤ人と異邦人の間に存在する神が置かれた「隔ての壁」がメシアによって取り除かれると説明されている箇所と符号します。ここで鍵となるのはエペソ人への手紙2章15節にある「新しいひとりの人」です。この一致への動きは、基本的には神の本来の民であるユダヤ人の耕した地に、以前は異教徒であった人たちが入るということです。その入口をクリスチャンは知っています。神がモーセと交わした契約の規定をイスラエルが守ることによって義と認められるのではなく、神がアブラハムと交わした契約を信仰によって受け取り、キリストの血による新しい契約によって祝福を受けるということです。イスラエルを「正当な理解」というレンズを通して見ると、以下のような両者の関係が見えてきます。

  • イスラエルは台木であり、源であり、根です。根が張るためには特定の土地が必要です。
  • 異邦人クリスチャンは接ぎ木された枝です。それは多くの枝を持ち、元々の位置から離れて広がっていきました。
  • イスラエルは部分的に盲目で、果たすべき自身の役割を認識していない状況にあります。
  • 異邦人クリスチャンの一部は、イスラエルという源に内在する知恵と知識の富を認識していません。
  • イスラエルは、息子(イエス)、使徒たち、イエス・キリストを信じる群れを生み、養育しました。
  • 異邦人クリスチャンは青年期から成熟し、イスラエルの犠牲を認識できるようになり、神がイスラエルに相続されたものを大切にし、慰め、守ることでイスラエルに対する負債を返済します。

神は、「どちらか/または」といった構造に縛られてはいません。イスラエルと異邦人クリスチャンの「両方/及び」を、神の恵みにより、まとめて解決してくださるのです。そして私たちもそうすることができます。

結論

「イスラエルの回復なき教会は、スター選手のいないラグビーチームに似ている」とマルコム・ヘディング国際クリスチャン・エンバシー(ICEJ)理事は言います。聖書の預言どおり、イスラエルは今まさに回復の兆しを見せています。イスラエル物語は始まったばかりなのです。「もし彼ら(イスラエル)の違反が世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らの完成は、それ以上の、どんなにかすばらしいものを、もたらすことでしょう。」(ローマ11・12)

今、成長した異邦人クリスチャンがへりくだり、接ぎ木された枝であることを認め、神のあふれる恵みを感謝して受け取り、神の視点に立ってユダヤ人のために立ち上がる時が来ています。

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