BFP被災地支援レポート
 2011年3月11日午後2時46分、東京にあるBFPオフィスは激しい揺れを受け、一時騒然となりました。本棚やキャビネットが倒れ、事務所に入ることが不可能に。近くに住んでいた2名は帰宅できましたが、電車通勤のスタッフ等が帰宅難民に。公衆電話の行列に並び、宿泊施設を求めて電話をしましたが、すでに満室。午前0時ごろ、ようやく地下鉄が動いたので協力者の方のご実家である、東京キリスト伝道館に泊めていただくことができました。その日は震源が宮城県らしい、津波が起きているらしい、という程度の情報しか分からず、帰宅難民があふれ、東京中の人がさまよっている状態でした。
  3/12 (土)
 東京のスーパー、コンビニから食料と水が消え、たちまち食料難に。テレビから目が離せず、ただひたすら東北のために祈っていました。
  3/14 (月)  
 終日、事務所の倒れたキャビネットや本棚を直し、散乱したさまざまな事務用品を片付ける作業。事務所は計画停電のリストから外れましたが、スタッフや協力者の自宅が停電に突入。その間、緊急の理事会が持たれ、BFPの支援者全員に「緊急のお知らせ」を用意。月刊誌『オリーブ・ライフ』の発行を一時縮小するなど、さまざまな活動をスリム化し、東日本大震災の支援に取り組むことを決定しました。
  3/15 (火)
 BFPとして全力で東北支援のために立ち上がることを、緊急『ハイメール通信(祈りの課題をEメールで配信するメールの名称)』で配信し、義援金の受付を開始。同時に東北の教会への安否確認をスタートしました。
  3/16 (水)
 被害の甚大な地域には電話回線がつながらない状況でした。安否確認の取れない教会の先生方、親戚等の消息が分からないという情報も寄せられ、『ハイメール通信』による祈りの支援の開始を決定。
  3/17 (木)
 予定されていた『オリーブ・ライフ』4月号の発送に合わせ、震災に関する緊急のお便りの挟み込みを加古川バプテスト教会の発送チームが丸二日間かけて実施。WEBサイトの更新担当者は、自宅が停電の中、車載のバッテリーを充電し、直流を交流に変換する装置を使い、布団にくるまりながらサイト更新を続けてくれました。
  BFPボランティア
  被災地で物資の配布にあたる BFPボランティア
  3/18 (金)  
 『ハイメール通信』の送信開始。ハイナイト教会や、被災地の教会、信徒の方々からの祈りの課題を日々配信しました。
  3/20 (日)  
 ゴスペルシンガーの上原令子さん、アガペCGN(淀橋教会・CGNTVが東日本大震災のために立ち上げた団体)、都運送のチームとB.F.P. Japanの高田が救援物資と共に被災地入り。宮城県の7箇所の教会を回り、食料、水、聖書等を届けました。
  教会堂が津波により破壊され、先生自らも間一髪のところを救助されたシーサイドバイブルチャペル(ハイナイト教会)の内藤先生の教会跡に行き、とりなしの祈りを捧げました。この時点で、私たちに出来る事が判明。避難所へも行けず、孤立して生活している方々がいました。そのような行政のケアの届いていない方々へ、毛細血管のように支援の網を張り巡らすことが緊急の課題として浮上しました。
  3/21 (月)
 男性のボランティアを急募。孤立されている被災者救援活動のために、必要な緊急指定車両(4台)とボランティア9名を派遣。彼らは当日の朝ボランティアの受付を知り、その日の午後には集合したという猛者たちです。現地に一週間滞在し、物資の配布や、家の中の泥のかき出しなど、刻々と変わるニーズにできる限りこたえるため、精一杯仕えました。彼らを受け入れ、現地の拠点となってくださった教会、協力してくださったキリスト教団体の皆様に、心からお礼を申し上げます。
  3/22 (火)
 BFP国際本部CEOのレベッカ・ブリマーが、各国の支部を通して、世界のクリスチャンに日本への支援を呼び掛けました。この呼び掛けに世界中から応答があり、BFPがイスラエル医療チームへの支援をすることができました。
  X線検査室にて
  検査室にてX線の検査結果を説明する医師
  3/27(日)  
 午前3時、イスラエルからの医療チームが到着。宮城県栗原市を拠点とし、南三陸町に診療所を設営。BFPからは、延べ14名となるボランティアチームが出発しました。
  3/28 (月)  
 イスラエル医療チームの活動がスタート。診療所はプレハブ6棟からなり、内科、産婦人科、小児科、整形外科、耳鼻科、眼科、レントゲンの機器類、手術のスペース、薬局などの施設を完備していました。今回の震災に対して、外国人による医療行為を例外として認めた珍しいケースであり、NHK、朝日、読売など多くのメディアが取材に訪れました。
  「津波ですべてが流されてしまい、薬の名前が分からない。お医者さんの電話番号も分からない。ここに来れば薬をもらえると思った。」と語るのは持病を持つ男性。裸足にスリッパ履きで何もない状態の中、息子さんに連れられて診療所に来ました。取材陣が殺到し、カメラのフラッシュにさらされ、気分を害しているのが分かりました。そこで、急遽BFPのスタッフが取材陣にお願いし、撮影をやめていただくという一幕がありました。医師たちの丁寧な診察によって、無事にこの男性のため、必要な3種の薬を処方することができました。
  また、60代の男性は、お孫さんと一緒に逃げたそうですが、残念ながら自分だけ助かったという事でした。被災後、目がかすんで見えないことに気付き、しばらく我慢していましたが、眼科が開設されたことを知って、病院に来られました。「もしかすると、あまりに辛い場面を見ないように、目がかすんでしまったのかも知れない。」と涙ながらに語っていました。
  このように、患者として来られる方々は皆、精神的なトラウマが大きく、診療において、デリケートな配慮が必要となっています。その気持ちに寄り添い、イスラエル人医師と患者の間を取り持つためにBFPボランティアが豊かに用いられました。
  3/30 (水)
 BFPスタッフ入路(にゅうじ)久美子現地レポートより
 診療所へ来られた時は、大方の患者さんが緊張した様子です。しかし、イスラエルドクターたちのリラックスした雰囲気と温かな声掛けに、とても優しい雰囲気が流れます。災害時の緊急医療の経験を持った彼らは、ただ肉体的な必要を見るのではなく、今患者さんが遭遇している大変な全ての状況に対して、心からの同情のまなざしを向けています。 あまり馴染みのないイスラエル人に診てもらうというのは、現地の方にとって少し勇気が必要です。精神的にも肉体的にも傷ついている患者さんは、ただ適切な薬をもらうだけでなく、心に薬を塗ってもらっている様子で本当に喜んでいます。お帰りになる時の笑顔は平安に包まれています。
  津波で流され荒れ果てた場所を見、ご家族を亡くされたその現実の中にいらっしゃる方々に接する時、自分たちには本当に何もできないという事を目の当たりにします。しかしイスラエルチームを補助することによって、少しでも役に立つことができる、この現場に立たせていただいていることを、心から感謝しています。患者さん一人ひとりが違う悲しみを持ち、違う状況に置かれている中、BFPボランティアはイエスさまの愛をもって寄り添い、耳を傾けています。
  X線検査室にて
  南三陸町で活躍したBFPボランティアチーム
  4/3(日)  
 イスラエルには特別な訓練を受けた緊急救助のスペシャリストチームZAKA(ザカ)があります。この日、活動を開始したZAKAチームの働きは、主に、行方不明者の捜索と、検体でした。タイやハイチの地震で培った経験をもとに成果を上げました。釜石では、イスラエルとイランの救助チームが鉢合わせとなり、一瞬緊張が走りましたが、手を取り合い人間同士の交流を図る姿を見ることができました。このような大惨事を前に国同士が敵であったとしても協力してそれぞれの任務に当たるのであればなおさら、教会同士が一致して任務に当たる必要があると、彼らの姿勢からも学ぶことができました。
  4/10 (日)  
 イスラエル医療チームの活動が終了。イスラエルは今回設営した診療所を医療器具や検査器具と共に南三陸町に全て寄贈。日本人医師団へのバトンタッチが行われました。南三陸町の町民の方々から、感謝の気持ちとして、折鶴が一人ひとりに贈られました。
このように、患者として来られる方々は皆、精神的なトラウマが大きく、診療において、デリケートな配慮が必要となっています。その気持ちに寄り添い、イスラエル人医師と患者の間を取り持つためにBFPボランティアが豊かに用いられました。
  4/12 (火)  
 BFPボランティア江藤裕美子さんレポートより
 今回私たちBFPボランティアに与えられたミッションは「現場の隙間を埋める」ことでした。毎晩一日の終わりには反省会をし、朝はチームの朝礼後、医療チーム全体の朝礼に加わり、イスラエル国歌のハティクバを歌ってから一日が始まりました。
  実際の業務は、日本人医師と看護師さんの指示の下に患者さんがスムーズに診察を受けられるように受付から診察終了まで患者さんに付き添い、待ち時間のお話し相手になったり、避難所引越しの際の布団運びをしたりと、隙間を埋めるべく日々刻々と変わるニーズにこたえるため、努力しました。
  そのような中で患者さんの感謝の気持ちをイスラエルのドクターや看護師さんへ伝える機会もありました。最終日に何度もお礼を言いに来られたおばあちゃん、初日に診察を受け、良くなったとお礼を言いに閉会式に来られた男性。「津波以来、こんなに優しくしてもらったのは初めてだった」と語るご家族・・・。
  多くの患者さんが何も聞かないのに震災当日の話を自ら話してくださいました。家族が流されてしまった方、家が流されてしまった方、ただ何も言えず、寄り添って祈り心でお話を聞くばかりでした。正直なところ、このご奉仕はメンタルケアの専門家でない私たちには荷が重すぎると主に叫んだこともありましたが、「こういう現場だからイエス様に先に救われているあなたがたが必要なんだよ。」という思いが与えられました。
  現場の技術的なことは災害医療に従事されている日本の看護師さんや医師たちが担ってくださり、どのように被災者の方に接すれば良いかも丁寧にアドバイスくださいました。後は私たちの手の業を主にゆだねるだけでした。
  また、日本の看護士さんや医師たち、患者さんがイスラエルのドクターの人格に触れ、日増しに「イスラエル」という国と民族に興味を持つのが分かりました。待ち時間にイスラエルのことやBFPの活動のことに話題が及ぶことが多くありました。私たち集められたボランティアメンバーも日々砕かれ、新しくされました。緊急に招集されたメンバーでこのミッションを無事達成できたことは、主の哀れみと皆様の祈りの実と言うほかありません。まさに「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」現場の隙間を主が埋めてくださいました。
 
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